<沿 革>

 

1870年後半、大名茶人松平不昧公がお好みの茶道具

作るために、輪島塗の職人を松江藩に招聘。

 

 → これが松江の漆器作りの基礎となる。 

 

明治、松江藩のお抱え塗師、坂田平一氏が、日本だけでなく中国、東南アジア等の漆器を研究し、どの産地でも行っていない蝋色仕上の技法をメインにした漆器を考案する。


坂田平一が考案した漆器を島根の名産品にすべく、当時の島根県令の

籠手田安定氏が、古事記に記載されている日本で一番古い和歌、

 「八雲立 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」

にある出雲の枕詞、「八雲立つ」から「八雲塗」と命名する。

 

明治23年(1890)

 弊店の祖、山本喜三郎が、職人を集め、家内制

 手工業で「八雲塗」を産業化し、「山本喜三郎

 商店」を開店。

 

 明治、大正期に島根の工芸品として、各種博覧

 会にて好評を博す。

 

 


昭和43年

米子駅前通りに米子支店を開店。初の県外

進出を果たす。

 

昭和44年5月10日 

三代目山本隆志が、株式会社山本漆器店を

設立。

 

昭和45年

本店新装オープン。

 


昭和49年

 全国の有名産地の漆器、陶磁器等を

 集めた「クラフトやま本」を開店。

 

同年

 生産力の強化と職人の育成を図る

 ため、松江市郊外に八雲塗工房を

 開設する。

 

 


 

昭和40年代

漆のシルクスクリーン技法を活用

した「新八雲」を考案し、主要な

観光地やホテル、旅館の売店等に

卸す事業を始める。

昭和57年

 島根県ふるさと伝統工芸品に指定される。

 八雲塗振興会設立。

 昭和60年

 松江の観光地、塩見縄手の武家屋敷近くに「へるん館」を開店。